GORO S-8

GORO S-8

【結論】好きな靴を履いてけばよろしい。革の重登山靴だろうと、地下足袋だろうと。その靴履いて山に入ったら何が起こるかを知っていてそれに対応できればよろしい。山は自由だ。

巣鴨にあるオリジナル登山靴専門店、ゴロー、の、S-8。

以前使っていた新素材の靴がウレタン部分からばっくりはがれてしまい、数年で使えなくなる靴はもう嫌だなあと思ってたところこの靴に出会いました。

最初のオイル塗りと磨きから始まり、手入れも面倒、ゴアじゃないから蒸れるときは蒸れる。そして今どきの靴に比べればかなり重いです。私のは、片方1165グラムです(紐、インナーソール除く)。重い!

だから、それも含めて好きな人向き。私は、好き。この靴でまた登りたいな、と思ってしまう。

「完全オーダー」「納期2か月待ち」とかのコメントを見かけたが、んなこたあない。私は買いに行ってすぐ持ち帰ったよ。右26.0、左26.5です。サイズあれば左右違ってもその場で買えます。0.25ミリ刻みはオーダーみたいだな。

※2018年10月29日追記
久しぶりにお店のHP見たら、S-8が”受注生産”となってますね。どうなんでしょ。前からそのように記載してあったような気もするし。検討中の方はお店に聞いてみたらよろしいかと。
それと、インナーソール使う方はそれも持参された方がよろしい。特に厚みのあるやつ使う方は。お店でかなりきっちり採寸してくれるから、あとでソール追加すると少々指がキツくなるよ(私)。靴下も持参すればなおよし(お店にもあります)。
以上追記でした

ところで、靴紐ってプラプラすると気持ち悪いから、

ゴムひもで留めてます。ゴムひもをリングに通して輪っかにして反対側のフックに留める、ね。これは以前の靴でもやってました。
つまり、こうなります。

ぷらぷらしなくて快適ですよ。

【使用上の諸々】

・購入時は、いわゆる裏革で薄い黄土色なのですが、すぐにワックス(専用、お店で売ってる)を塗って、塗って(どんどん吸い込むから缶半分近く使う)、ブラしかタワシで磨きます。すると、テッカテカのツルッツルになります。こうして防水性を確保するわけですな。そして、毎回使用後は汚れ落とし&ワックス&磨き、たまーにミンクオイルで栄養補給。このあたりの初期設定と手入れに関しては、買うときに丁寧に教えてくれます。

・採寸とサイズ決定は2階のお姉様が非常に丁寧に(テキパキと)やってくれます。私の足の爪を見て一言、「今の靴が小さいですね。下りでつま先に負担かかってますよ」だってさ。

・セミワンタッチアイゼン使ってます。エーデルリッド(EDELRID)のシャークです。
このアイゼンは、前の金具を取り換えることで、ワンタッチにもセミワンタッチにも、さらにはプラの山スキー兼用靴にもはまる、なるなかなかの優れモノ。

ワンタッチの金具(前)がはまるかなと思ったんだけど、ソールがでかくてギリギリ入りませんでした。セミワンタッチで使用するには全く問題なし。心配ならアイゼン買うときに靴持参で試しましょう。

この靴のビブラムソール、でかくてゴツイんだよな。

・冬は、日帰りの旭岳、本州の八ヶ岳数泊くらいなら大丈夫。でも、革だから確実に湿気吸います。靴下はケチらずいいものを。インナーソール入れてます(また後日)。

こんな重い靴履いてる私だが、地下足袋ですたすた夏道降りてく沢屋の人とか、東北の山なんか行くとよくいる長靴で入ってる地元のおっちゃんとかみると、ああ、山は自由で良いなあと思います。

PRIMUS P-153 ウルトラバーナー

PRIMUS P-153 ウルトラバーナー

 プリムスのバーナー p-153ウルトラバーナー
 【結論】道具背負って歩く人はこれで間違い無し。
※極限まで軽くしたい方は、p-115で!

その前にこれまで使ってきたストーブのことを。

学生時代は灯油のラジウス(重)をパーティーで1台が当たりまえ。会津高校山岳部と北大歩く会時代は、まあ学生なんてエエ加減だからエバニューのポリタンに灯油入れて持ち運んでました(もちろんだめなんだけどね)。パッキン溶けてくるし。灯油臭い飯をよく食ったもんだ。アルコールのメタでプレヒートしなくちゃいけない。下手な奴がつけると赤い炎があがってテントの中が黒煙で充満するわ、ニードルで掃除しないとススがたまるわ、掃除しすぎると噴射穴が広がってよくないわで、まあ手間がかかるもんでした。でも好きだったけどね。

一人で行くときはキャンピングガスのコンパクトなやつ。五徳が全部ばらせてコンパクトでよかった。ただ、EPIとプリムスに押されてボンベ売ってるところが少なくなってきたのが多分20年前くらい。

自転車で旅するようになってからはピークワンのレギュラーガス用ストーブ。これはプレヒート無しで点火できてよかった(火柱が少々上がるから、雨でも点火は外で)。ガソリンスタンドさえあればどこでも燃料手に入るし。余談ですが、オーストラリアのチャリ旅中に会ったライダーは、現地の鉛入りのハイオク使うと炎色反応でキレイだよ、と言ってました。

時代は移り、、、いやあ軽くなったもんだコンパクトになったもんだ。驚きです。どれくらいコンパクトかというとで、同じくPrimusのコッヘル(今はクッカー、って言うのか?)とセットで

 

 

 

ボンベとストーブが収まります。
日帰りでもこれ一個はザックに必ず!です。

 

 

 

 

 

【使用に関する諸々】
■安定は悪い。だから、特にテント内での調理中は鍋を手で押さえながらが基本(テント内は禁止、ということになってますが、そりゃ無理だよ)。外でお湯沸かすくらいなら、まあいいか。風には決して強くないので、外ではいろいろ風よけを工夫。

■ボンベは夏でも冬季用を使ってます。値段そんなに変わらなくてハイパワーだから。30年前くらいにキャンピングガス使ってた頃からのクセです。

■電子式の着火装置がついていて便利なのですが、2300mとか超えると火花飛ばないことがあるので、必ずライターなどをセットで携行します(「カチッ、とやる式」じゃないやつね。意味ないよ)。100円ライターは行動中の濡れはもちろん、朝テント内で結露すると(テント内でむき出しで置いとくとほぼ必ず結露する)使えなくなるので、ジップロック、複数分散、寝るときはシュラフ内、などいろいろ工夫を。

そんなわけで山歩きにはこのストーブがおすすめなんですが、なんですが、自転車の旅とかにはピークワンのレギュラーガス用がいいなと改めて思いました。街でしかボンベ手に入らないからなあ。

それと、キャンプの人たちが使う立派なストーブ(コールマンとか?)のことは全く知らないです。
車に積むのはイワタニカセットコンロで決まりです。

「象に釘」 1回目

観に来てくれたかとうしゅうやくんと飯食いながら軽く飲んだ。
どうやら喜んでもらえたようでよかった。ほんとによかった。
今日の芝居のことをいろいろ指摘されて、いい気になったり、改めて整理したり。ありがたいことです。

思うんだが、ほんとうにわかりやすい本だ。わかりやすい、というのは俳優のやるべきことがはっきりしている、という意味だ。
客が観てわかりやすいかどうか、そんなことは知らないですよ。
だから、やってて難しくはない。
セリフは多いし複雑だから、その怖さはあるよ。よく間違えるし、昨日はスガノくんが見事に2ページほどすっ飛ばしてました。

難しくはない。だから、難しい。
禅問答じゃない。
相手を見て。語り。聞き。やるべきことをやって。
そういう当たり前のことをやったののち、で、なんだ?

面白くする?もっと面白くできる?なんかやる?やってしまう?やっちゃう?
うまくやる?何か表現する?

誠実にやってれば、必ず面白くはなる(やってて、ね)。
さあそれで?

で、思う。
ホンには全部、書いてある。それをやればよい。
明日も誠実にやりたいです。

劇団コヨーテ 路上ヨリ愛ヲ込メテ

ハムプロの稽古しなくちゃで人の芝居見てる場合じゃないんだが、かとうしゅうや君が出てることもありコヨーテというとこの芝居を観劇。
で、結局、俳優のありかた、みたいなものしか見てないんだが。

終わってかとうくんとサクッと飲む。話してるうちに自分の考えも整理されるのでよろしい。

誠実でありたいと思う。できないことはできません、ということで。
もしかするとなんだが、「キャラクター」とか「人物像」とか「性格」とか、そういうものを俳優が表現できる、そう思ってる俳優が多いんじゃなかろうか。んなこたあできないよきみ。

正確にいうと、上にあげたようなものを表現しようとして「演技」するのはマチガイ、ってこと。
ホンには書いてある。喋るべきことが。俳優はそれを喋ればよい。その言葉を吐くときに「どんな人だから」なんて考えることがマチガイなんだ。「どんな状態か」は必要よ。
・・・。・・・いまさらこんな幼稚なことを書くのもものすごくはずかしいが、昨日かとうくんと飲んでて改めて思ったってことは、俺はまだそんな段階なんだな。まあ、それがわかっただけでよろしい。

で、なんだが。
昨日の亀井健の芝居(亀井さん本人の、って意味ね)、なんだが、
これは本人の(作家&演技者だから、表現者として、としておく)意図がどうあれ、開演して極早い段階で彼の演じる人物が観客のシンパシーなり共感なり反感なり、つまり観客として彼の生を追体験しようという観客たちの意思を獲得していた。
・・・なんかまわりくどいな。
他の登場人物は、彼を「キモイ」と形容する。が、観客は彼を「キモイ」とは思えない。
なんでだろう?カメイケンだから?それもある。
でも、と思う。
誠実だからだ。言葉と、それを発する意識に対して、彼が誠実だから。
彼がもし「キモイ」人物を演じようとしていたらどうだろう?
・・・「どうだろう?」じゃない。ダメなんだよ。

彼は「キモイ」人物の生を誠実に語った。結果、観る者は「キモイ」と描かれるべき人物に、それ以上の魅力なり期待なり、やがて悲しいカタルシスが訪れるのか、生への希求を叫ぶのか、そこまでを予感する。
そのとき、演技者と観客の間には「キモイ」などという、ステレオタイプなキャラクター設定など無意味になる。

さて、それで。最後、「キモ」かった彼はダイエットに成功し、戦いを挑み負け、そして生きることを叫ぶ・・・。
ここがカタルシスとして機能していなかったことから、逆算して考えたんだ、上記のことは。
早い段階で、彼はいずれ勝ち、負け、そして生きていくのだろう、もしかしたら死ぬだろう、いつかは死ぬだろう、そういうことを自分の中に予定していたんだ。話が見えちゃった、っていうんじゃないよ。彼が生きていくことを了解したんだ。

演劇として成功だったのかどうか、そんなことはどうでもいいんだ。
誠実に演じる人を見れて、それでいい。