俳優の声

以前、とある俳優さんが、北海道のロケで二日間オフ日があったから札幌に遊びに来てたことがあって、ちょうど春風亭一之輔さんの独演会を道新ホールで演っていた日だったから二人で聞きに言った、ということがあった。

一之輔のすごさをいまさら私なんかが語るのも僭越だからそれはしませんが、終わって飯食いながら、いったいこの俳優は、ああいう噺家のなにを、どこを見ているんだろうと聞いてみた。

「声だね」

「声ですか」

「聴いてるよね、あいつは。自分の声を。で、見てるんだよ、客を」

マクラのところでその日の自分の声、会場での響き、客、それを見て聴いて判断してるんだ、で演ってるんだ、という。なるほどなと思うし、なるほどなとは思うけどじゃあやりましょうって出来るもんではない、とも思う。でもこのことはやっぱりとても大事だと思う。「自分の声を聴く」

あと、その人は、こうも言う。

「俳優は声だ」

 

何年前だろう。千年王國が何周年だかのコメントを求められたとき、橋口幸絵(現在は櫻井)んとこにはいい声の男俳優ばっかり集まる、ということを書いた。柴田にしても赤沼にしても昔の京極にしてもそうだった。そのうえで私が橋口の芝居の、時に何に違和感を覚えていたかといえば、彼らがその声に自覚的であるかどうか、ではないか。

この前芝居やった時、あれは劇場での稽古中で私は客席でなんとなく見てたんだけど、聞かれたんです、ある人に。「私の声聞こえてますか?」

聞こえていたんだけど、その時「ハイ、聞こえてますよ」ではだめだなと、ちょっと余計なことかもとは思いながら付け足して答えた。「自分で喋ってて聞こえてるなら、きっと客にも聞こえます」。

基本の基本になってしまい申し訳ないが、叫んでも届かないセリフもあるし、囁いてもよく聞こえるセリフもある。

ちゃんと聞きたいなと思う。喋りたいなと思う。

 

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