スペイン

日本の選挙は結局自民が圧勝してなんだかなあなんだが、そんなことよりスペインのカタルーニャの独立だよ。

スペインが分裂するなんて、そういう事情を抱ええていたなんて、想像もしなかった。

中央政府は強行に独立を阻止したい、独立賛成派(州政府含む)は猛反発、ここらへんは想像できる。で、カタルーニャにも独立反対派が一定数存在して、独立賛成VS反対派が対立。これも想像できる。
問題は、考えなければいけないのは、その先だ。

国家ってなんだ?国体はどう維持されるべきなのか?
第二次世界大戦後を現代とするならば、現代の国境を誰がどうやって定義するべきなのか?

自分たちが住む土地を真に望ましい方向に導くためには、その土地が属する国家を再定義する自由は、その土地の住民にはあるのか?現代の市民に許される、国家に対する自由の範囲はどこまでなのか?

以上、カタルーニャとスペインの抱える事情と、独立が成立した場合の大国(つまり米中露とかのことだ)の振る舞いについては一切考慮しないで考え始めてみた。

ツアーが終わり、稽古中

札幌座「空知る夏の幻想曲」は、10月21日北広島、10月24日岩見沢で全行程終了。
楽しいツアーでありました。良い芝居でした。

「劇のたまご」稽古中。
短い芝居なんだが、転換がたいへんだたいへんだ。
転換も全部役者がやるんです。見せる転換、ってやつですな。

明日は午後まで事務仕事片付けて、夕方から小道具作りですだ。

旅中に考えた

もはや、都知事かどうかとか、どうでもよくなっちまったみたいだな。ま、そんなもんだろ。
「空知る」の北広島公演の翌日が投票だな。仕事入ってるけど行かなくちゃですな。

今の芝居の旅中に飲んだりしながら改めて考えたんだけど。
民主主義ってのはつまり、独裁さえも許容する自由があるってことなんですな。そういうものの出現を、実に簡単に受け入れるシステムを民主主義は内包している。このことを”危険”と叫ぶのではハッキリいって手遅れなのであって、”宿命”というか自明のこととして取り扱わないと、それこそほんとに危ないんだよ。

例えばなんですが、あの地震のあと、ちょっとチャンスかなと思ったんだ。長く戦後日本を支配し続けてきた欲望というものをエネルギーにした独裁のシステムが変化する機会になるかなって。欲望の取り扱い方を検証することができる国にかるかなって。
6年経って、かくの如しだ。この様だ。欲望やモラルを検証することは、経済発展と消費活動の活性化にはマイナスなんだとさ。

さて、今度の選挙だ。結果は、まあはっきりいってどうでもよろしい。
何が、どう動くかだ。政局じゃなくてね。

札幌座とか劇たまとか

札幌座「空知る夏の幻想曲」ツアー中。
今はサンピアザ劇場で公演中です。私、制作兼音響操作。
で、昼公演終わってから「劇のたまご」の稽古をシアターZOOで。
なかなかハードではありますが、どちらも面白いからよろしいのです。